まちの変遷
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銀座商店街今昔風景
時代は常に変わり、そのわずかな一瞬に、人は泣き、笑い、そしてつながりを深めていきます。
伝えていきたいことは山ほどあります。長野銀座の今昔風景の一部をご紹介します。
昭和30年頃
懐かしき日々
高度経済成長の足音、まちでは地域振興が花盛り。ノスタルジー漂う当時の写真からは、夢や希望に満ち溢れていた様子がうかがえます。どんな時代でも、力を合わせて頑張れ!というメッセージが伝わってきます。
昭和50年頃
笑う門には福来る
売出しや福引きはいつの時代も楽しいものです。いつもワクワクしてもらえるよう商店街も知恵を絞ります。車、海外旅行、大相撲観戦、現金つかみ取り、一年分の公共料金無料、バス乗車券…、とても豪華でした。
夏の祭典
祭りの音が聞こえてくるとソワソワしてきます。長野びんず る祭りも市民祭として定着し、夏の風物詩となりました。市内のメインストリートを開放して、街中お祭り一色になります。老いも若きも商店街も、夏の一夜を楽しみます。
平成
様変わりする街並み
善光寺表参道のすべての電線が地下に埋め込まれました。さらにアーケードが撤去され、タイル舗装には融雪パイプが新設されました。側溝や下水道管も増設され、都市機能が大幅に向上しました。明るさと開放感にあふれた街並みに生まれ変わりました。
新しい時代の足音
上野まで汽車で8時間かかっていた時代から特急あさまで3時間。そして新幹線開通によって、長野⇔東京間がついに90分になりました。陸の孤島だった長野が通勤圏内に。平成27年3月には金沢まで延伸しました。写真は平成9年の北陸新幹線開通時の様子です(当時は長野駅が終着駅のため長野新幹線と呼称していました)
世界のNAGANOへ(招致活動)
長く熾烈な招致活動が実を結び、ついに平成3年(1991年)、1998年冬季オリンピックの開催権を獲得しました。開催が決定した時は、長野市中が歓喜に包まれ、祝賀セールが盛んに行われました。
平成10年
長野冬季オリンピック
1998年2月、長野冬季オリンピックが開催されました。連日熱戦が繰り広げられ、街の熱気もMAXに。セントラルスクウェアをメインに、中心市街地は多くの人であふれました。長野開催の自負を胸に、街はこれからも発展していきます。
地域活性化に向けて
オリンピックから20数年、現在では街の趣も変わり、若者から高齢者が集う地域のコミュニティーの場として大きく変遷してきています。より一層のにぎわい創出や活性化に向け、魅力ある街づくりに取り組んでいます。