まちの変遷

銀座商店街今昔風景

時代は常に変わり、そのわずかな一瞬に、人は泣き、笑い、そしてつながりを深めていきます。
伝えていきたいことは山ほどあります。長野銀座の今昔風景の一部をご紹介します。

以前の銀座商店街(航空写真)

昭和30年頃

懐かしき日々

高度経済成長の足音、まちでは地域振興が花盛り。ノスタルジー漂う当時の写真からは、夢や希望に満ち溢れていた様子がうかがえます。どんな時代でも、力を合わせて頑張れ!というメッセージが伝わってきます。

祇園祭/新田町(昭和29年)
祇園祭/問御所屋台(昭和29年)
ミス長野のパレード(昭和30年中頃)
おいらん道中の人出10万人(昭和29年)
商業祭のデコレーションカー (昭和30年中頃)
当時は雪が多かった

昭和50年頃

笑う門には福来る

売出しや福引きはいつの時代も楽しいものです。いつもワクワクしてもらえるよう商店街も知恵を絞ります。車、海外旅行、大相撲観戦、現金つかみ取り、一年分の公共料金無料、バス乗車券…、とても豪華でした。

年末年始の売り出しの目玉に大相撲観戦ご招待、小錦関、水戸泉関を囲んで。
商店街は大忙し
10万円が当たるサイコロ抽選会
もちつき大会、ふるまいの準備
もちつき大会 (昭和57年)

夏の祭典

祭りの音が聞こえてくるとソワソワしてきます。長野びんず る祭りも市民祭として定着し、夏の風物詩となりました。市内のメインストリートを開放して、街中お祭り一色になります。老いも若きも商店街も、夏の一夜を楽しみます。

「ソーレ」の掛け声としゃもじを打つ音が夜空に鳴り響きます
地元消防団による花火の演出
子供連もたくさん参加

平成

様変わりする街並み

善光寺表参道のすべての電線が地下に埋め込まれました。さらにアーケードが撤去され、タイル舗装には融雪パイプが新設されました。側溝や下水道管も増設され、都市機能が大幅に向上しました。明るさと開放感にあふれた街並みに生まれ変わりました。


新しい時代の足音

上野まで汽車で8時間かかっていた時代から特急あさまで3時間。そして新幹線開通によって、長野⇔東京間がついに90分になりました。陸の孤島だった長野が通勤圏内に。平成27年3月には金沢まで延伸しました。写真は平成9年の北陸新幹線開通時の様子です(当時は長野駅が終着駅のため長野新幹線と呼称していました)

長野市政も100周年
セントラルスクウェアで祝賀式
オリンピック参加国の国旗もパレード
デコレーションカーも参加
中学生のブラスバンドを先頭に祝賀パレード

世界のNAGANOへ(招致活動)

長く熾烈な招致活動が実を結び、ついに平成3年(1991年)、1998年冬季オリンピックの開催権を獲得しました。開催が決定した時は、長野市中が歓喜に包まれ、祝賀セールが盛んに行われました。

祝開催決定のペナント
たゆまぬ招致活動
商店街では祝賀セール一色
マスコット人形のスノーレッツ

平成10年

長野冬季オリンピック

1998年2月、長野冬季オリンピックが開催されました。連日熱戦が繰り広げられ、街の熱気もMAXに。セントラルスクウェアをメインに、中心市街地は多くの人であふれました。長野開催の自負を胸に、街はこれからも発展していきます。

表彰式会場のセントラルスクウェア

地域活性化に向けて

オリンピックから20数年、現在では街の趣も変わり、若者から高齢者が集う地域のコミュニティーの場として大きく変遷してきています。より一層のにぎわい創出や活性化に向け、魅力ある街づくりに取り組んでいます。

お花市、お盆の花販売で賑わいます。ステージでは街角コンサートも開催(8月)
善光寺花回廊/ながの花フェスタ(5月)
にぎわい市/野菜市(5~11月、毎週火曜)
門前ジャズストリート(6月)

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